ウッチーの ”ネパール大好き”
カトマンズの石仏とバハール
ネパールと言えば「ヒマラヤ」と「貧しい」。他には意外と何も知られていないんですね。たとえば「ネパールに行くよ」と言うと「大丈夫なの?すごい高いところでしょう。寒いんじゃないの?」と心配する人がいる。こういう人が抱いているネパールのイメージは「標高8000mの極地」です。ところが、ネパールの国土には、海抜わずか100m以下のところもあるんです。
そんなふうに、ネパールという国は一般にはあまりよく知られていない。一方、熱烈なネパールファンのみなさんも結構います。熟年の山好きの人たちですね。いつかヒマラヤに登ってみたいけれどもそれは無理。そこで、ヒマラヤの絶景を眺めながら山麓の村々を歩くヒマラヤトレッキングが大人気です。かく言う私も、ネパールとのつきあいの最初はヒマラヤトレッキングだったんですが、すぐにネパールの”もう一つの魅力”の方にハマッてしまいました。”ネパールのもう一つの魅力”ーそれは、ネパールと言うよりカトマンズ盆地に特に言えることですが、”石仏天国”ということじゃないでしょうか。カトマンズでは人間の数よりも神様の数の方が多い、と言います。ここで言う「神様」は石造や木彫や鋳造の彫刻群のことです。ご多分に漏れず首都一極集中が激しく、やたら人口の多い今のカトマンズでは「人の数より多い」というわけにはいきませんが、それでも無数の神々に囲まれた桃源郷であることは確かです。「桃源郷」にもいろいろありますが・・・。そして大事なことは、これらの神々の中にヒンドゥー教と仏教が混在しているということです。世界の二大多神教であるヒンドゥー教と仏教が、独特の風土の中で同時に居場所を得た。それがカトマンズという神秘世界なんであります。
というわけで、”ネパールのもう一つの魅力”を紹介します。こういうのって、意外と無いですよね。だから見たくても見れない。ならば自分で作ってしまおう、と。
タメルの辻のドゥルガー寺
ナクサール・ヴァガバティー
犬とバハール
街角の「乗り物」
番外編1・貧果!富士キノコ2005 でも、今年も「おかわり2杯」
番外編2・ブナ帯はブナハリ帯!?森吉山2005
タメルの辻のドゥルガー寺
タメル地区はカトマンズ旧市街(旧王宮周辺の中世の城下町)の北側の一帯で、外国人ツーリスト向けのホテル、レストラン、土産物屋が建ち並ぶにぎやかな一角です。トゥリブバン空港に降り立ったツーリストはタクシーでまずタメルに向かい、ここで当座の宿を探すことになる。ここを基点にポカラやチトワンの観光やトレッキングに出かけ、帰国前には必ずここに帰ってくることになるので、ツーリストにとってはネパールにおける故郷、といった感じの場所でしょう。異国の一人旅は不安もあり寂しいものですが、一廻りしてタメルまで戻ってくると、ホッとするというか、我が家に帰ったような気がします。
このタメル地区の中心に位置するタメルチョーク交差点から北に延びる道の途中に写真の祠堂がある。この祠堂の裏にも細い道があって現王宮方面に向かい、こちら側にも道があってホテルヴァイシャーリに至る。つまりこの祠堂は四つ辻の真ん中に建っており、迷宮カトマンズを歩くための手がかり、目印の一つにもなっているわけです。だから・・カトマンズに滞在したことのある人ならこの祠堂も記憶に残っているでしょう。たぶん。
本尊がドゥルガー女神なので「ドゥルガー寺」現地語で「ドゥルガー・マンディル」と呼ばれます。ドゥルガーは人気のある神様ですから「ドゥルガー寺」はいたるところにある、ということになる。日本で「寺」と言うと、いくつかのお堂の並ぶ伽藍をイメージしますが、ネパールの「マンディル」の多くはこうした単独の建造物で、小さな石仏を納めたちょっとした覆い屋も「マンディル」なんであります。
ですが、私の見るところ、カトマンズの宗教的建造物は
@写真のような、またはもっと小型の祠堂
A多層屋根を持つ、日本で言う「〇重の塔」
B石膏で表面を塗り固めたストゥーパ
C中庭形式の仏教寺院
ざっと以上の4つに大別できるのじゃないか。普通の市民にはどれも「マンディル」ですが、ある程度教養のある人は(教養の問題なのか?)@とA、つまりヒンドゥー教寺院を「マンディル」、Bを「ストゥーパ」、Cを「ヴィハーラ」と言っているようです。この拙文の表題になっている「バハール」とはCのことです。「ヴィハーラ」は仏教寺院を示すサンスクリット。「バハール」または「バハ」はそのネワール語、と理解しています。「ネワール」は「ネパール」の打ち間違えでなく、カトマンズ盆地に住む(とは一概に言えないが、)先住民族ネワール族のことで、ネパール国内で、チベット仏教とは別系統の、ネパール独自の仏教を保持している唯一の民族がこのネワール族です。つまり、「ネパール仏教」とはネワール族の仏教、ネワール仏教に他なりません。
で、この祠堂のすぐ裏に写真の塔がある。東西南北各面に密教の金剛界四仏の座像が浮き彫りされている。金剛界四仏は阿弥陀、宝生、阿しゅく(「しゅく」という字は門の中に「人」が3つ)、不空成就の四種の如来のことで、「真理」の神格化である大日如来の四つの分身ということになっていますが、それぞれの違いは印相(手のポーズ)の違いや、色が塗られている場合は色によって示されます。また、それぞれ定まった方位に向きます。まとめると以下のようになる。
東 阿しゅく如来(アクソヴヤ) 青色 触地印
西 阿弥陀如来(アミターバ) 赤色 定 印
南 宝生如来(ラトナサンバヴァ) 黄色 与願印
北 不空成就如来(アモーガシッディ) 緑色 施無畏印
「阿しゅく」と「阿弥陀」は原語の音を漢訳音写したもので宝生と不空成就は原語の意味を訳したものだということがわかるでしょう。ここでは、左側が触地印、つまり右手で手の甲を外に向けて地に触れている印相の阿しゅく如来、右側が不空成就如来です。不空成就だけ光背(像の頭の後ろの背景の部分)が鎌首をもたげたヘビの群れの姿になっています。ついでに言うと、塔の周囲を囲んでいる鉄製の柵に付いている皿はバター灯明を灯すための灯明皿。
こうして、ヒンドゥーの祠堂に隣り合って仏教の塔が建っている。「ヒンドゥー教と仏教が、同時に居場所を得ている」これが具体例の一つですが、問題はこの女の子である。腕組みしてじっとこちらを見ているのだが、実はこの女の子、この上の写真でも祠堂の影の暗がりの中にいてこちらを注視しているのだ。つまり監視しているわけですね、私を。寺の中をじろじろ見てメモまで取る外国人なんて普通いないからね。十分に挙動不審。国内の石仏調査では墓場荒らしと間違われ、職場でもよくわかんないやつと見られ、遠い異国でも不審者視されてしまう私でありました。
てなわけで、今回はここまでで力尽きました。また近いうちに書き加えます。(「くまのたいら村」流に言うと「増結します。」)
ナクサール・ヴァガバティー
タメルチョーク交差点を東にちょっと行くとインド人のおじさんがやっている古本屋があって、日本字の文庫本が壁いっぱいに並んでいます。文庫本一冊150から250ルピーは日本円で200〜400円くらい。日本の古本屋と比較してもひとまわり割安ですが、読み終わった後で半値で引き取ってくれるのがさらにオイシイところです。行きの機内で読んだ本をここで売り、滞在中に読む本を買い、帰る前に読み終わった本を売って帰りの飛行機で読む本を買う、というのが上手いやり方。ところが毎年これを繰り返していると、自分が以前に売った本をまた買ってしまうことがある。しばらく読み進んでから「ナンだ、これ読んだじゃねーか」ということになる。本の選び方にちっとも進歩がないことを再確認する仕儀となるわけです。
古本屋を過ぎてさらに東に行くと現王宮。大きな門の前にライフルを構えた兵士が立っております。2000年6月、この中で王族12人が一度に亡くなる大惨事がありました。そして、ほとんどすべてのネパール人が真犯人はギャネンドラ現国王だと信じて疑いません。その後のギャネ氏の横暴ぶりは日本でも報道されているとおり。これを書いている今この時も、ネパールでは報道統制がしかれ、学生や民主活動家が捕らえられています。おかげで本来ブラーマンの坊ちゃんであるはずの我が師ヴィシュワ君も日に日にマオイスト化する始末。
現王宮からさらに30分東に行くと騒音のひどい交差点に写真の多層屋根建築の寺院が建っている。このへんをナクサール地区、この寺院を「ナクサール・ヴァガバティー」と言います。私が一番好きなヒンドゥー寺院です。
「ヴァガバティー」は「神」を意味する名詞「ヴァガバン」の女性形。つまり「ナクサール・ヴァガバティー」は「ナクサールの女神」ということになります。ここで言う本尊の女神もやはりドゥルガーですが、ドゥルガーについては別のところで書くことにします。
ちょっと話が変わりますが、カトマンズにはこういう多層屋根建築の寺院がたくさんあるんですね。この写真では見えませんがこの上にさらにもう一重の屋根があってこの場合は三重の塔です。こうした多重塔寺院は日本の「◯重の塔」と見た目よく似てますが、本質的に大きな違いがある。何が違うかというと、日本の「◯重の塔」は本来釈迦の遺骨を納める仏舎利塔=ストゥーパだが、カトマンズのそれは本尊の神を安置する場だという点です。
そもそも仏教信仰は釈迦の遺骨=墓=仏舎利塔に詣る行為からはじまったようであり、これが寺院というもののの起源のようでありますから、仏舎利塔は仏教寺院の中でもっとも重要な施設ということになると思います。その仏舎利塔は、壇の上に釈迦の遺骨を置いて土で埋め土饅頭を築く。さらにその上に雨よけの傘をかぶせた「サンチーの大塔」などに見る形式が古来の姿です。この壇ー土饅頭ー傘のセットは仏舎利塔であるかぎり必ず具えており、日本の多重塔の場合は一番上の屋根のさらに上の飾りの部分(基壇ー伏鉢ー相輪)にその名残りがあるのだ、という説明は、読者の方もどこかで聞いた覚えがあるのじゃないでしょうか。というのは、修学旅行で奈良の薬師寺に行くと、有名な東塔の前で坊さんが今私が書いたのと同じ説明をしてくれたものなんですよね、昔は。今はどうだか知りませんが・・。
カトマンズでは、仏舎利塔は白亜のストゥーパとして独立して存在します。つまり、カトマンズの多層屋根の寺院は仏舎利塔ではないということです。て言うか、カトマンズの多層屋根寺院は実は仏教寺院ですらない。ほとんどすべてがヒンドゥー寺院であります。このことは考えさせられる問題じゃないかと思います。見た目凄くよく似た様式の建築が東アジアの日本と南アジアのネパールにあって、両国ともに仏教が生きているのに一方はヒンドゥー寺院としてその様式を伝えている。そもそも日本の多重塔はどこから来て、ネパールの多重塔はどこから伝わったのか。中国の多層屋根建築はネパールから伝わったという信じにくい話しもあって、「アジア的多重塔建築の起源と伝播」を考えてみるのも面白いんじゃないか、と思います。
ナクサール・ヴァガバティーの魅力は一階壁面の奇怪な壁画群にある。写真はそのうちの一枚。骸骨尊カンカルと仲良く遊ぶ死霊としてのシヴァ。右の人物は亡者ブータの姿をしているが持ち物のダマル太鼓によって実はシヴァ神であることが示されています。シヴァやシヴァファミリーの神々(ドゥルガーもシヴァファミリーの一員)を本尊とする寺院、つまりシヴァ系の寺院では周囲の装飾などにカンカルやブータなどの死の世界の者たち、マガマガしいイメージの者たち、不浄なる者たちが絵や浮き彫りで表現されていることがよくある。しかし、こうしてシヴァ神自身が醜い姿に描かれている例は他にありません。
いずれにしても、シヴァ神はヒンドゥー教の最高神であって、特にネパールにおいてはヒンドゥー教とシヴァ信仰は同一であると言っても良いのですが、そのシヴァファミリーにはこのように死と血のイメージがとりついている。血のイメージについて言えば、シヴァの配偶神たち(ドゥルガーやカーリー。七母神もそのグループに入る。)や変化神ヴァイラブは常に犠牲獣の血を浴びて真っ赤である。一方で、ヒンドゥー教には強烈な淨ー不浄観があり、「どの程度に不浄か」という観念による厳格な(人の貴賤を分ける)体系があって、この体系こそがインド社会=ヒンドゥー教だとも言えるのですが、その最高神であり最も「聖」であり「淨」であるはずのシヴァファミリーはこのように死と血のイメージにまみれている。ーこの矛盾がヒンドゥー教を一筋縄では理解できない、不可解なものにしています。
犬とバハール
私は犬が嫌いです。ていうか、本当を言えば犬の吠えるのが怖いのであります。ところが、カトマンズの街には鎖につながれていない犬がうようよしている。でも、昨年8月の滞在までは犬のことは別に気になりませんでした。何故かというと、吠えないからなんですね、カトマンズの犬たちは。昼間は餌を探してゴミの山を物色しているかグデーと寝ているかのどちらかで、エネルギッシュな部分が全く無い。ひたすらうらぶれているのがカトマンズの犬くんたちなんであります。
そんなカトマンズの犬たちですが、中には吠えるヤツもいるのだと今回はじめて知りました。それが仏教寺院バハールに住む連中なのです。
バハールというのはネパール仏教(前述のネワール族の仏教)の寺院で、住宅街の家屋群の内側に中庭のような形で存在します。表通りとは潜り戸のような細い路地でつながっており、外からは見えないために一見の旅行者はその存在に気付きませんが、カトマンズ盆地三都市(カトマンズ、パタン、バクタプル)の旧市街には実は無数のバハールがあり、それがこれらの街を巨大な迷宮にしています。カトマンズの街を散歩していて知らぬ間に中庭のような空間に入りこみ、出たあと方角が分からなくなって迷ってしまったという経験をしたことがあるでしょう。バハールというのはあれのことです。
カトマンズは人口密度も犬口(「けんこう」と読む)密度も高いところで、往来には人も犬もあふれておりますが、バハールに定住しているヤツもいる。閉鎖された空間にいるせいか、こいつらにはなわばり意識みたいなものがあるようです。さらに、ひょっとすると番犬意識まであるのかも知れない。寺院の番犬、・・「狛犬」とはこのことですね(^^)。「狛犬」は神社の付属物ですが・・。しかし笑い事ではない。なにしろ寺院巡りの大好きな私にとって犬は天敵なんだから。
パタンでハカバハルを探していたときのこと。裏通りから、ここかな?と思う路地に入っていくと、奥から猛烈に吠えたてられたのです。私は反射的に踵を返し競歩のスピードで通りを目指しました。これが日本ならば、背後の吠え声は遠ざかっていくはずです。犬はつながれている訳ですからね、しかしここはネパール。敵は急速に接近してくる。すぐ後ろまで来た!!と思った瞬間、私は50に手の届くくたびれた筋肉をフル作動させて普段では到達不可能な高さに跳躍しました。足元を白いものが駆け抜けるのが見え、振り返ったヤツと目があった時、私は「もうやるっきゃない!」と覚悟を決めて身構えたのですが、敵はそのまま奥に走り戻ってしまいました。外敵を追い払い、なわばりを守る目的は果たしたというわけでしょう。゜結局見ることができなかったこのバハを私は「犬バハ」と名付けることにしました。「犬バハ」はハカバハの真裏、背中合わせの位置にあります。犬嫌いの方は気を付けてください。
この事件によって「バハールの犬は吠えるのだ」と認識した私に、ビビリが入ってしまった。すると、やっかいなことに犬というヤツはそういうことに敏感なものらしく、それからは頻繁に吠えられるようになってしまったのです。全く困ったことです。やっぱり犬は嫌い。猫がいいよ。
写真はカトマンズ旧市街トゥキャバマルガという通りにある名称不明バハ。通りに面しているのでバハールとしては典型的ではありません。区画整理みたいなことがあって通りに出てしまったんじゃないでしょうか。でも、中庭の空間構成はよく分かります。奥の突き当たりが本堂。手前が入口です。入口から本堂正面に向かって一直線に礼拝施設が並んでいる。手前のおじさんが座っているのは四面に四仏(前述の阿弥陀、宝生、阿しゅく(「しゅく」という字は門の中に「人」が3つ)、不空成就の四種の如来)を浮き彫りした小塔チャイトヤ、その向こうが白亜のストゥーパ、その奥にまたチャイトヤが並び、本堂扉の両脇には舎利佛、木蓮の仏弟子や観音、ターラー(観音妃)、供養者などの石像が控えます。また、ここでは見られませんが、本堂前の地面に40cm四方くらい四角い掘り込みがあることもある。これは、護摩供養のためのレンガ炉を組む護摩供養場です。本堂扉上のトーラナという木彫飾りには金剛界五仏や金剛薩f、文殊菩薩などが浮き彫りされています。そして扉の中の本尊は阿しゅく如来・・らしいのだが実はよく分からない。というのは、如来像の区別は印相つまり手指のポーズの違いによって表すわけですが、ネパールでは阿しゅく如来も釈迦如来も前述の触地印なので、どちらとも言えないわけです。バハールについて紹介した本には本尊は阿しゅくだと書いてあるものもあるし、ブッダだという人もいる。普段扉の中は見ることができないわけだからまあどっちでもいいんですが・・。
これは「鶏バハ」ではない。パタンの王宮広場東の裏通りにある「シリーバハル」というのがどうやらここらしい。しかし隣組の共同炊事場みたいで「寺院」という感じはまったくしません。写真左上にわずかに見える土管のようなものは共同井戸。ご覧のようにニワトリが遊んでおります。バハールであったらしき名残はこの曼陀羅台で、ブロンズの丸い台の表面に密教の曼陀羅が板金打ち出しで描かれており、さらにその上に金剛杵=バジュラが乗っております。金剛はこの世でもっとも硬い鉱物ダイヤモンドのことで、金剛杵はいかなる煩悩も断ち切り仏教に帰依させる硬く強力な武器ということになります。・・それにしても金剛杵とニワトリ・・カトマンズらしくていい写真でしょう。
ついでですが、ネパールのチキンはメチャメチャ旨い。鶏自体が健康で脂肪が少ない上に、常に骨付きで料理するのだから旨いのも当然。ネパールに行ったらぜひチキンを試してください。
街角の「乗り物」
だいぶ鮮度の落ちた話しですが、くまのたいら村村長の大穂耕一郎と福島県南会津郡昭和村に行ってきました。イワナ釣りと山菜取り。今年の東北の春の訪れは遅くて、連休の翌週だというのにまだウドが出ていませんでした。がっかりです。かわりにアイコをたくさん採った。アイコの表面は特殊な毛で覆われていて、触れると指がピリピリとしびれます。それで「イラクサ」と言う。「イラクサ」の「イラ」は「痛い」「シビレる」という意味。「カラムシ」という別名もあって、成長した草の表皮を細く裂いて織った織物を「カラムシ織り」と言い昭和村の伝統産業になっておる。過疎の進む昭和村を救う観光の目玉の一つですが、チクチク刺されながらヤブこぎしなきゃならない我々釣り人にとっては天敵であります。
ちなみに「釣り」のことをネパール語では「マーチャ マルヌ」と言う。「マーチャ」は「魚」。「マルヌ」は「殺す」。つまり「魚殺し」。たしかに「魚殺し」には違いありませんが、実に語感が悪い。「罪障」という言葉が頭に浮かびます。生まれ変わったら魚になって刺身にされるんじゃないか。さらに昭和村語では「イワナ釣り」のことを「ドジョウ取り」と言う。「東京からわざわざドジョウ取りに来たのけ」「ドジョウたくさん取れたか?」が正しい用例。「マボロシの魚」イワナも昭和村では「ドジョウ」。つまり、それほどたくさん居るという話しですが、最近は過去形「居た」に近くなってきました。でも「ドジョウ」ってのは感じが出てますね、サケ科の中でも原始的なタイプのイワナは、ヤマメに比べると体型が丸くて細長くて、たしかにドジョウに似ています。春のイワナ釣りの映像は「くまのたいら村」でどうぞ。
さて、カトマンズの街角で「乗り物」と言うと、タクシー、テンプー、リキシャー、リンタク(って言うのか?)、インド製タタバス、中国の援助でできたトロリーバス等々ですが、人間の乗り物ではなく神々の乗り物の話しです。
ヒンドゥー教や仏教では、ほとんどすべての尊挌にペアで表現される動物がいて、これをヴァーハナ、ネパール語でヴァハーンと言います。意味は人が乗って移動する物、荷を運ぶ車、つまり「乗り物」というのは直訳なのです。しかし、何故それぞれの神様に特定の乗り物があって、なおかつそれが動物なのか?これがそもそもよくわからない。よくわからないけれども、「乗り物」の動物たちが多神教世界の種々雑多な尊挌の中から個々の尊挌と挌尊挌に伴う権能と言うか職分と言うか、現世利益的機能の違いを見分けるための標章となっていることは確かです。
そう考えてみると、ネパールには尊挌と動物の関係によく似たものが他にもある。各政党のシンボルマークがそれで、国民会議派=木、統一共産党=太陽、共産党左派=星、国民民主党=鋤、といった具合ですが、これは、文字が書けない人を投票に参加させるための手段になっているらしい。
写真はインドラチョークの北にある交差点(と言っても信号や横断歩道があるようなものを想像されると困る。「辻」と言った方がいいか・・)ベダシンハの一角に置かれている聖牛ナンディンの彫像。ナンディンはヒンドゥー教の最高神シヴァ神の乗り物で、この向かい側がシヴァ寺院の正面になっており、つまりナンディンは寺院内部に置かれた本尊のシヴァ神像に正対していることになります。
ここでナンディンが出たついでにちょっと寄り道ですが、ヒンドゥー教を国教とする政教一致の国・ネパールでは、牛を虐待したり殺生したりすることは刑事罰すら伴う御法度である。その根拠は、牛はシヴァ神の乗り物、と言うことにあります。牛は聖なる存在で、淨ー不浄観の中で「淨」の極にあるものだから、その排泄物ウンチやオシッコは罪や汚れを清める効力(浄化能力)が高いということになる。そのため「罪」や「汚れ」を「身体に付着するもの」と観念するヒンドゥー世界では、付着した汚れを清めリセットするための特効薬になっているらしい。つまり塗ったりかけたりするわけですね。牛のオシッコやウンチを。・・・と、おもしろおかしい特異な風習としてこんなことを書いてますが、どこまでも即物的で精神世界というものを完全に失って久しい我々日本人の方が実は面白くも可笑しくもないのだ、と言うことなんでしょう。
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ここはバンゲムッダの辻にあるイカナラヤン寺。ナラヤンマンディルの前に鎮座するのは神鳥ガルーダです。横向きなのでちょっとわかりにくいですが・・。ガルーダはヴィシュヌ神の乗り物で、インドネシアにも「ガルーダ航空」というのがあるように、アジア全域でもっともよく知られる神使です。日本には漢訳音写「(カルラ)」として伝わっており、興福寺二十八部衆乾漆像に傑作がありますが、女子プロレスラーにもミスター女子プロレス神取の団体に「カルラ」というマスクドウーマンがいました。実は、白状しますが私プロレスファンでして、週プロの愛読者です。特に女子プロは好き。週プロはもっと女子にページを割いて欲しい!・・・軌道修正。ガルーダの母はナーガ(竜)族に囚われていました。天界の霊水アムリタを持ってくれば母を解放してやるというのでガルーダは苦労して霊水を手に入れ、持って帰ろうとしたところにヴィシュヌが現れた。ヴィシュヌとガルーダはアムリタをめぐって闘うが勝負着かず、結局、アムリタを持って帰るかわりにガルーダ自身はヴィシュヌの乗り物になる、ということで決着したのだそうです。これが神話的起源。
これは旧市街の南、ゴファマルガ三叉路にあるハリハリハリヴァーハナ観音。「ハリ」はヴィシュヌのことでヴァーハナは乗り物のこと。ヴィシュヌ系の二つの乗り物(下から獅子とガルーダ)の上にヴィシュヌ自身が乗り、さらにその上に観音が乗っています。カトマンズの街角の石仏の中でも最も手の込んだ像で、この場所以外ではスワヤンブーナートやパタンのゴールデ゛ンテンプルで見られます。
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