里山遊志とは?

農業形態の変化のより年々荒廃していく里山環境。

荒れた里山は、土地の有効利用の名のもと各種開発行為により大きく姿を変えて
ゆきます。

『里山遊志』は、東京に残る里山”横沢入”を中心とした様々な調査・実践活動から、
従来の農産物生産目的の里山管理に変わる里山の生態系保全を目的とした
里山維持管理のあり方を考えていきます。

 


  1. 里山とは?
  2. 今なぜ里山が必要なのか?
  3. 多様な生物の存在する環境資源としての価値
  4. 文化資源としての価値
  5. 生活資源としての価値

里山とは?

 

里山は、人々が生活の糧となる農産物生産のために維持管理してきた自然環境です。高度成長期以降、大規模農業・機械化農業への形態の変換によって、大きく姿を変えてきました。

昔ながらの里山は、大型機械の入れにくい山間の谷筋(谷戸)にわづかに残るだけとなってしまいました。

そのわずかに残った里山も管理者の不足から荒れた環境に変わっています。荒れた里山は土地の有効利用の名のもと大規模開発の対象となっています。昔ながらの里山は、今の時代にそぐわない不必要なものなのでしょうか。

里山調査をはじめるにあたって

「今なぜ里山が必要なのか??」
里山の価値について考えてみました。

1) 多様な生物の存在する環境資源としての価値

里山には、自然環境の多様性に応じた多種多様な生物が生息します。この中には、環境庁のレッドデータブック等に記載される希少種も多く含まれます。これらの種の多くは里山環境のみを種としての生息域としているため里山の消失は種の絶滅につながる問題と考えられます。種の保存法の制定等、生命倫理がクローズアップされている今、その価値は大きなものといえるのではないでしょうか。

2) 文化資源としての価値

里山は、数百年にわたる人間生活の中から形作られ、その形の中で人々は日々生活してきました。日本の文化と里山は、深く結びついた重要な存在といえるでしょう。現代でも多くの人々は、日本的な風景、ふるさとを思い描くとき里山を思い、里山を見て心を和ます(景観、心のよりどころとしての価値)。また、ある人は、都市の中での日常生活の合間に里山で遊び・ふれあい・楽しみ、日常生活に帰っていく(レクレーションの場としての価値)。子供たちは、里山を見て日本古来からの営みを知り、自然とのふれあいの中から観察力・想像力を培っていく(教育教材としての価値)里山は、まさに文化資源の宝庫といえるのではないでしょうか。

3) 生活資源としての価値

里山は、生活資源供給の場として作られ維持されてきました。燃料としての薪炭を供給してきた雑木林、日々の食料・対価対象としての米や野菜を今日供する田畑、そしてタラやセリ等の山菜、キノコやヤマノイモ等の山の幸、ゲンノショウコやセンブリ等の薬草まで里山は、人々の生活に必要なさまざまなものを供給してきました。
 しかし、化石燃料への転換等日本人の生活様式の変化とともにその価値を失いつつあります。その一方生活様式の変化に伴う様々な問題(大気汚染・土壌汚染等)が大きな社会問題になっている現代にあっては、過去の里山からの供給資源を見直すとともに、きれいな水や大気といった広義の供給価値も考えてみる必要があるのではないでしょうか。


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